「自分らしくシンプルに生きる」
ボクはいつもそう心がけて生きています。
正確に言うと、ここ数年でやっと辿り着いた境地です。
「ちゃんとしなくちゃいけない。」
「なんとかしなくちゃいけない。」
「一生懸命にやらなくちゃいけない。」
どこか力が入ってしまっている状態で苦しい時代もありました。
子供の頃から、大人から何かと期待されていた部分も強く感じてきたからでしょう。
どこにいても、どちらかというと先頭を切って走る。
キャプテンだったり、学級委員だったり…
「頼む!お前から先生に言ってくれ!」
そんな場面がよくありました。
「またかよ。しょうがないなあ。」
とボクが先頭を切って先生たちに進言するのだけれど怒られるのはボクなんてことも(笑)
それはそれで良い思い出なんだけど…
いつも最前線であるがゆえに息苦しい瞬間も多々あった。
「お兄ちゃんなんだから…」
「キャプテンなんだから…」
「学級委員なんだから…」
と子供の頃は言われながらも頑張ってきた。
「先生なんだから…」
「コーチなんだから…」
「役員なんだから…」
と大人になってからも言われて頑張ってきた。
「立場が人を育てる。」
確かにそんな要素も多々あります。
あるポジションを与えられたら「必死になって学んで組織に貢献したい」って思う。
「求められる○○像」
なんていうのがあるけれど、それはあくまでも一般的なモデルです。
もちろん…
多くの人たちの体験などをもとにつくられたイメージ像でもあるので疎かにはできません。
ひとつのスタイルから学ぶことも必要です。
でも、そのままやったところでは上手くいかないし勿体ないことにもなります。
なぜかというと、ボクはボクであるからです。
得意なことや好きなこともあれば、苦手なことや嫌いなこともある。
ボーッとしているわけじゃないけど、人に言われて気づくことも多々あります。
ちゃんとしているようで抜けているところがいっぱいある。
「やってみたい!」
って思ったら周囲のことなんて考えないで進めてしまうことがある。
それって人からみたらワガママなことかもしれないのだけれど仕方ない。
ゴチャゴチャしている空間は気持ちが悪いので片付けまくる。
誰かが散らかしているつもりはなくても、ボクにとってはそうは見えない。
だから、片付けたら怒られることもある。(笑)
人間って本当にいびつ。
なのに…
ボクらはどうしても何かしら「モデル」に引っ張られてしまう。
「理想の自分」を追い求めるのは悪いことではありません。
でも、それは「他の誰か」になろうとすることとは違いますよね。
世の中には、誰ひとりとして同じ人はいないわけでしょ。
「先生らしく…」
「親らしく…」
「○○らしく…」
って縛られすぎていたら苦しくなるでしょ。
「自分らしくシンプルに生きる」
これがベースを大切にした上で「理想の自分」を追求すればいいんじゃないかな。
それが「自分のスタイル」になればいいよね。
そうはいっても、ボクらは何かしら役割を与えられて生きていく。
そんなわけで…
自分のベースにあるものを活かしつつ役割を果たしたいなって思います。
「みんなが自分らしく生きる」ためには、お互いのいびつさをリスペクトすることも大切。
お互い足りないものがあるんだから相互に埋めながら歩めばいいよね。
「誰だっていびつだ。」
って思ったら人にも優しくなれると思う。
ボクは出会った人からたくさん学びたいし、出会った御礼に何かしら貢献もしたい。
そのためにもまずは…
「自分らしくシンプルに生きる」ことを心がけたい。
じゃ…
珈琲でも淹れるね。
Enjoy your life.