分岐点を見つめながら。

分岐点を見つめながら

寒波がやって来て雪国では大雪に見舞われているという。

津南町は積雪が92cmというから一気に降り積もったことが分かる。

「一昨日、電話したときは10cmもないって言ってたのにな」

と父は笑ってテレビ画面を見つめている。

我が家の父方のルーツは新潟県中魚沼郡津南町である。

「なんで長男なのに津南にいないんだろう?」

子どもながらに思っていたけれど、それは後に理解することになった。

中卒で電力会社に入った父は、やがて発電所に勤務することを考えていた。

ところが…

会社の養成所にあたる高等部を卒業して配属されたのは配電部門。

伊豆大島に電柱を立てに行ったこともあるという。

台風や地震があると会社へ行ってしまう電気を守る人だった。

どこに配属されるのかが父の分岐点のひとつだったというわけだ。

発電所勤務だったらボクは生まれていなかったけれども。

人ってのは実に多くの分岐点を通過する。

小学校4年の秋、木造校舎の職員室の窓から声をかけられた。

「おい!お前たちサッカーってのがあるからやってみないか?」

そう言ってボクらはサッカーと出会って夢中にボールを蹴った。

やがて中学校へ入学。

部活動見学に行った体育館でバレーボール部の顧問が笑顔でパスを出し…

ついつい一緒にいたクラスメイトと入部してしまった。

それからボクのそばにはボールがずっとある。

「サッカーとバレーボールの二刀流なんですね」

と言われることもあるけれど、要するに中途半端なのだ(笑)

人生という名のボールは転がり続けて幾つもの分岐点を通過してきた。

あんまり器用じゃないからなのか…

いつだってBチームスタート、大学に入るにも教員になるにも時間がかかった。

「このまま続ける?それとも辞める?」

なんて分岐点も数え切れない。

「人生は選択の連続だ」とも言われる。

あれこれとやって来て学んだことがある。

それは…

「人のせいにしない」ってことだ。

「お前のパスが悪いからシュートが打てなかったじゃねーか!」

「お前のトスが悪いからスパイクが決まらなかったじゃねーか!」

なんてことはプレーを極めるに従って間違いだって理解ができた。

まあ、たいして極めてはないんだけれども。

「良いパスやトスを呼び込むためには自分の動きが大切だ」

動き出しのタイミングやアングル、仲間とのコミュニケーション…

要素はいっぱいある。

もしも相手が自分のイメージとは違う動きをしたら…

「あれ?こっちに問題があるのかな?」

って逆サイドから探索してみる。

「俺は正しい。間違っているのはあいつだ!」

なんて言い続けていたら分岐点で最適な選択はできないだろう。

どこぞの組織のリーダーだったらなおさらだ。

「お前たちのプレーがどうしようもないので勝てないだろ!」

「あいつなんかより俺に任せた方が勝てるぞ!」

なんて言っている指導者にも出会ったことがあるけれどそうじゃない。

「ただ批判するのではなく自分のプレーを見せながら問うことだ!」

「どれが正解でどれが間違いなんてことは言い切れないだろ!」

「リスペクトを持った指導者になろうぜ!」

分岐点で出会った多くの仲間たちが教えてくれたことが身にしみる冬の一日。

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