「あのさ、みんなのダメなところは見ないから」
「そのかわり、良いところを探すようにする」
そう高らかに宣言したものの実際は簡単なことではなかった。
どうしてもダメなところに目を奪われてしまうのだ。
生き延びるための安全装置が起動するので仕方がないのだが…
良いところを探すには、自分自身の心持ちを変える必要がある。
「マインドセットを変えて、子どもたちの良いところをとらえよう!」
今では講演やワークショップでそう伝えているが道程は険しかったのだ。
「ポジティブメガネで見る」
そう心がけて子どもたちを眺めると、それまでとは違って教室が見えてきた。
「いい感じだな」
そう思う瞬間もあったが、やっぱり事件は起きるのだ。
校庭で子どもたちと遊んでいた時のこと…
ドッジボールをしていた他学年の男の子が石を投げ始めた。
野球少年だった彼のコントロールは抜群だ。
最初は砂利を投げていたが、少しずつ粒が大きくなっていく。
ヒートアップした彼は明らかに怪我をさせそうなサイズの石を手にした。
「おい!やめろ!こら!」
大声を出して止めたので、その子は恐怖を感じてしまったそうだ。
担任から苦言を呈された。
もう少し違う方法があったのだろう。
ただし、あの石が命中していたらと思うと今でもゾッとする。
そして…
下校時間、昇降口で女の子に酷い言葉をかけ続けている男の子がいた。
聞くに耐えないので注意をすると今度は矛先がボクに向かってきた。
「誰だよ!お前!カンケーねーだろ!」
ちなみに彼はボクのクラスではない校内でも有名な暴れん坊だ。
あまりにも態度が悪いので今度はボクがキレてしまった。
「お前な!うるせーよ!ブツクサ言わずに早く帰れ!」
こんなことを言ってしまったので苦情電話が来ないかビクビクした。
翌年度、彼の担任となり、このエピソードは笑い話になったのでホッとしたけれど…
「くわまん、やべえやつだって思ったよ。でかいし(笑)」
あれやこれやと試行錯誤していると、どんな時に叱るのかが明確になっていった。
暴力や差別的な発言によって命に関わると思ったら即止める。
それだけを心がけるようになって少し楽になった。
ところが止めた後が難しい。
「あのさ、暴力はダメだって知ってるよね?」
「殴って気持ちよかった?」
「本当はどうすればよかった?」
と上っ面を舐めるような尋問を繰り返してしまう。
そんな時、大いに参考になったのが「ばーか!お前よー!」が口癖の先輩だった。
子どもたちが何かやらかす。
「ばーか!お前よー!」
という声がすかさず飛ぶ。
流石に今では通用しない表現だが、その事後対応に驚かされた。
「ちょっとこっち来い!」
と言って用意する場所は夏であれば涼しく、冬であれば暖かい場所だ。
「まあ座ろう!」
そう言って子どもの横に座る。
静かで不思議なおしゃべりが始まった。
「そういや朝ごはん食べたのか?」
「おー!今日のメニューは?」
「へー!いつもパン?ごはん?」
「目玉焼きっていいじゃん!俺も好きだな」
「苦手な食べ物は?」
「あー!それな!あれは俺も苦手だなあ」
気がつけば笑い合っておしゃべりをしている。
「くわちゃん!指導なんてしなくていいんだよ」
「おしゃべりできれば大丈夫だから」
時として厳しい先輩はそんなことを教えてくれた。
そうは言っても上手くはいかない。
何かしら指導をするというのが教師の仕事だと思っていたのだろう。
子どもたちに何かしら伝えると状況が良くなる。
そんなことを繰り返していると自分が有能だと勘違いしてしまう。
先輩のいう「指導なんてしなくてはいいんだよ」からは真逆だ。
「権威みたいなものがないと子どもたちに舐められるのでは?」
そんな気持ちもあった。
「あいつ、やばかったよね。あれは先生じゃないよ」
以前の担任を酷評していた子がいた。
さすがに同じように思われないようにびびる。
でも…
そんな心配はバカらしいことだったことに後に気づかされることになった。
権威を振りかざして指導すれば指導するほど教室の空気が悪くなることにも。