面白い花を見つけました。
残念なことに名前が分かりませんので、どなたか教えてください。(笑)
遠くから見ると一つの花ですが、近くで見ると小さな花が集まっていることが分かります。
こんな花を見るたびに考えることがあります。
そこにビッシリと集まっている小さな花たちは一つひとつ違う。
この球体の花を「学校」や「クラス」に置き換えます。
「○○小学校の児童像」や「○年○組の児童像」があったとします。
その「児童像」なるものにそぐわない行動をすると叱られる。
その子のもつ能力や個性は無視されて…
「○○小学校の子なんだから!」とか「○年○組の子なんだから!」
と言われて「やりなさい!」って言われてしまう。
決められた通りにやっていればいいのだけれど、個人の意志や能力は尊重されない。
それって子どもたちにとっては辛いことなんじゃないかなあ。
ボク自身、イメージ像に縛られすぎていた時代があります。
「チャレンジ」「リスペクト」「スマイル」を毎年のように掲げます。
でもね…
「いつもチャレンジすることが素晴らしいってことになると苦しいよ。」
「いつもリスペクトがないといけないってことになると苦しいよ。」
「いつもスマイルが必要っていうと、やっぱり苦しいよ。」
「強制みたいになるのはダメだよ!」って子どもたちが教えてくれました。
ホントにそうなんですよね。
だって、その日の気分とかもある。
子どもたちだっていろいろあるんです。
「ちゃんとやらなきゃいけない」ってことは分かっています。
でも、苦手だったり嫌いだったり、気分がイマイチだったり…
いろいろとあるじゃないですか。
先生たちも同じですよね。
「○○小学校の先生らしく」とか言われると辛いことってありませんか。
みんなが同じように授業を提供しなくちゃいけない。
そんなプレッシャーに晒されて、自分らしさを出せないままに教壇に立つ。
それって辛いよね。
「子どもたち」「先生たち」って言うけれど、みんなそれぞれ違う人です。
とても個性的な人たちが学校には集まっているはず。
そんな子どもたち一人ひとりにとって、教室はどうあるべきなのか。
そんな先生たち一人ひとりにとって、学校はどうあるべきなのか。
一人ひとりの潜在能力がもっと発揮されるといいなあ。
「やってみたいことにチャレンジできる。」
子どもたちや先生たちの内面から沸き立つモチベーションは大切にしたいですよね。
「まずは、やってみよう!」ってならないと、小さな花も元気よく咲けないでしょ。
皆さんの学校はどうですか?