まだまだ冬のような寒さを感じる土曜日です。
卒業シーズンを迎える時期になりました。
地元では高校から始まり、中学校、小学校と卒業式も行われます。
卒園式も小学校1年生となる子どもたちもソワソワしているかもしれません。
さて…
今日は子どもたちについて気になっていることを書いておきます。
生まれた時からスマホやタブレットがある時代。
1歳児でも画面をフリックしたりスワイプしたりします。
大型テレビの画面でも上下左右に指を動かしてみたりもする。
たいていは「あれ?」ってなるのですが(笑)
とても気になっているのが「スマホ育児」といわれる問題です。
スマホ登場以来16年、教師にいるのはもはや私たちが知る「子ども」ではなくなっている。
(ルポ スマホ育児が子どもを壊す)
というような指摘もあります。
不登校児童生徒が増え、学校に居づらさを感じる子どもたちとも関連があるはずです。
電車に乗っている時に目にする光景があります。
小さな子どもたちにスマホで動画を見せている姿が頻繁に見られるのです。
昔のように車窓を眺めるような子どもたちは皆無。
列車が走る中で流れていく光景を楽しむような姿はありません。
親子で会話するようなシーンも極めて少ないような気がします。
私たち人間は仮想空間に生きているわけではありません。
画面を通して世界中の知識を得ることができる便利な時代は否定しませんが…
今の子どもたちは圧倒的に自然の中で過ごす機会が少ないのではないでしょうか。
私が小学校教諭となった平成の初め頃の教室は騒々しい世界でした。
放っておけばあっちへこっちへ動き回る子どもらしさがありました。
よく言えば「とてもにぎやか」だった時代だったと思うのです。
ところが…
時代の変化につれて少しずつおとなしくなってきた。
もちろん、一部例外はありますが、なんだかお行儀の良い子が増えました。
マニュアルを与えるように、何かを指示するときっちりとこなす。
ただし、それ以外のことはやらないという特徴も。
目の前にあるものを勝手にいじって面白くしちゃうのが子どものはずですが…
「それ知ってるし」
なんて言いながら何か冷めている。
そんなこともあって教室でもやりにくさを感じるようになりました。
「これどうすればいいんだろうか?」
あれこれと考えた上で始めたのが「学級を子どもたちに明け渡す」ことでした。
この実践については、単著「どの子も輝く教室のつくり方」(明治図書)を読んでください。
話を元に戻します。
デジタルに触れることよりも大切なことがあるのではないでしょうか。
子どものうちに育みたいことは、何かしらの知識を覚えるようなことではなく…
太古の昔から私たちのDNAに刻まれている生物としての機能を発揮させること。
五感が働かないようでは、もはや人間とは呼べないのではないかとも思うのです。
幼児期から草花や小さな生き物に触れるという自然体験は本来人間がもっている五感(官)を刺激し、好奇心をはぐくみ、感動を知り、豊かな感受性の発達をうながす基本的な要素です。生きものと直接触れるなどの自然とのかかわることにより子どもたちはさまざまなインスピレーションを感じていきます。
(引用)https://www.nacsj.or.jp/2020/07/20815/
まさに自然の中で遊び尽くす体験が重要だと思うのです。
いわゆる「非認知能力」だって遊び尽くしていれば勝手に身につくはずです。
まずは人間としての機能を高めることを意識した子育てをしたいものです。
そのためにも私たち大人がデジタルとの距離をとることも大切ですね。
歩き回って街中に咲く花でも探してみてください。