「指揮官の流儀」(チョウ キジェ)

指揮官の流儀 スポーツ

指揮官の流儀

サッカー三昧な一日…

U-12チャンピオンシップの運営から湘南ベルマーレ小田原の打ち上げ。

海老名から平塚へ移動してラスカにある書店へ行くと、こんな本が積んであります。

早速、購入しました。

松本山雅でコーチを務める尊敬する先輩から

あいつは間違いのない指導者だ!

と教えてもらったのは、チョウさんがユース監督時代。

ちょっとした育成年代談義は、いつも熱く共感できるものがあります。

是非、ゆっくり語り合いたい人です。

「他人によく思われるために仕事をしてないか」
「いい格好をしているだけではないのか」
「自分に嘘をついていないか」

やりたいようにやっているように見える私にも刺さる言葉…

ネガティブな思考は、組織においてはマイナスでしかありません。

チョウさんは

求められるのは「なんとかなるかな」「なんとかしよう」「なんとでもなるさ」という信念と楽観性

と語っています。

育成年代の子どもたちと一緒に過ごしてきた姿は、私の人生ともかぶります。

 

そのスパイクを買うために親は何時間働いたか知っているか?

というチョウさん…

教室の壁を蹴ったり、モノを壊す子どもたちにかけてきた言葉も同じです。

その壁な、親が収めてくれている税金でできたんぞ!親を蹴るのか?

と言ったりします。

初めてトップの監督になったときのくだりは、学年初めの第一声と似ています。

「たいした授業ができるわけでもない。指導力があるあけでもない。」

と前置きしてから

「この学年が終わるときには、みんなと一緒に成長していたい。」

と子どもたちに毎回のように語りかけています。

目の前にいる選手たちの無限の可能性を引き出し、サッカーをする喜びに満たされた状態を作ってあげること

とても共感できる言葉です。

教室でも同じ、もちろん、ジュニアサッカー育成の現場でも…

ミーティングをなによりも大切にする

というチョウさん…

私の教室では

サークルをなによりも大切にする

に置き換えてみます。

長年の経験から言うと子どもたちって不思議なものです。

どんなに綺麗な言葉を並べても伝わらないときがあります。

私自身に迷いがあり、それが子どもたちには見えている。

だから伝えたいことが伝わらないのです。

朝のサークルで、子どもたちにいろいろな話をします。

常にネタ探しをしながら、あれやこれやと話をする。

本気で話すと伝わって、迷いがあると伝わらない。

ホントにそんな感じです。

責任をポジティブに負う

ということも書かれています。

学校でも同じようなことがあります。

同僚である先生たち、そして保護者に対しても

子どもたちは全力でやっているので子どもたちを叱るのはやめてください。

と…

子どもたちには日常的に

自ら考えてどんどんやっていいよ。やり過ぎだと思ったら止めるから大丈夫。

と伝えています。

といっても放任ではありません。

子どもたちを観察して、よく理解してあげなければなりません。

その上で、好きになる。

相手を観る・知る・好きになる

まさにコレです。

特に好きになるは相手には伝わります。

どんなに綺麗ごとを並べても、本心は伝わるのです。

なかなか言うことを聞いてくれない児童について悩む若手に

そもそも、その子のこと好きか?

と尋ねています。

好きであることは本当に大切。

育成年代の指導はステップアップという非常識

これもその通りです。

子どもって言うこと聞くからラクでしょ!親は大変だろうけど

なんて言う人たちがいます。

バカにしていはいけません。

子ども時代こそ大切です。

子どもだから許される。あるいは大人だから気が抜けないという考え方は間違っている。

まったくもって同感!

選手と監督が同じ方向を向いている。そんなサッカーがしたい。

そう、みんなの特徴を生かしながらぶれずに突き進みたい。

子どもと教師が同じ方向を向いている。そんな教育をしたい。

みんなで考え抜いて、俺たちはどこへ行くのかを決めて進む。

ぶれずに自分を信じて…

さて、今日は甲府戦、スカパーで観戦だ!

チョウさん、いつか一緒に仕事しましょう。

 

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