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ボクの子育てとそれぞれの「20歳」

子育てとそれぞれの「20歳」

子育てとそれぞれの「20歳」

我が家のサッカーボーイズ3号(三男)が20歳を迎えた。

個人的な話だけど何かしら参考になればいいかなと思って勝手に綴りますね。

まあ、とにかく我が家の子どもたちはボールを蹴りまくって育った。

「ボールは友だち!」

そんなことを伝えたくてボールリフティングを日課にした。

これでもね…

父親としてできることは何かって真剣に考えたんだよ(言い訳がましいけど)

ボク自身、サッカーに出会って球技の楽しさを知った。

素敵な仲間たちにも出会えることを知った。

でも…

当時はオリンピックにも出られないサッカーじゃなくてバレーボールの世界を選んだ。

神奈川はバレーボール全盛時代だったし、真面目にオリンピックに出たかった(笑)

真面目に関東大学バレーボールリーグで戦っていた頃もある。

でもね…

「バレーボールとサッカーどっちが好き?」と聞かれたら「サッカー」と即答。

球技の世界へ誘ってくれたのは間違いなくサッカーだからだ。

「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがですか?」

そんな世代だ。

どうでもいい前置きが長くてごめんなさい。

さて…

我が家のサッカーボーイズ3号は無事に20歳となりました(最初に書いてるじゃねーか)

そんな彼はウェールズにいます。

190cm近くある彼はサッカーコーチングを学びにウェールズへ旅立った。

といっても第一志望の国立大学へは入れず…

大学卒業後に行こうとしていた海外へ勝手に留学してしまった(笑)

まあ、仮面ライダーでいえば3号だから仕方ない飛び級だろう(規格外)

大学に通いながらウェールズの2部リーグと契約したあたりも凄いって思う。

ところが…

これがなんと試合には出られないという悲しい事態が…

これも何とも我が家のサッカーボーイズらしい(笑)

いろいろあるわけだけども、それもまた人生なので楽しめばよし。

試合には出られないけど練習には参加できるし…

U-8のコーチもしているし…

UEFAのコーチングライセンスも取得できるだろうし…

父は逆輸入で遅咲きの日本代表を夢見ているけどね(笑)

ちなみに1号と2号は地元の東海大学サッカー部で20歳を迎えた。

彼らは彼らで紆余曲折あった。

それでも地元にいてくれて何だかホッとしたよね。

近くにいるってやっぱり嬉しいよ。

ところが…

今はボク自身が地元を離れているという状況でもある。

こんな状況を3号が産まれた日に想像していただろうか…

完全に想像の域を超えている。

なんでボクは信州の標高895mにいるんだろうか(笑)

ふと帝国海軍の軍人だった祖父、電力会社に勤務した父を思う。

彼らの20歳はどうだったのだろうか…

祖父の20歳は1937年、国家総動員が叫ばれた年だ。

父の20歳は1960年、戦後15年しか経っていない。

ボクの20歳は1987年(浪人したので大学2年)

なんだかまあバブルで勢いがあった頃の日本だった。

今思えばおかしな時代だった。

イケイケだったもんな。

我が家のサッカーボーイズたちの20歳もそれぞれだ。

でもね…

変わらないことがある。

「どんな時代であれ目の前のことに全力を尽くすこと」

それは、会津人である祖父から…

そして、豪雪地帯の津南で生まれた父から…

受け継がれた伝統と言っていい。

どちらかというとかっこ悪いことが多い。

チャレンジすればするほど失敗を重ねるからね。

でもさ…

それでいいんだよ。

みっともないほどにチャレンジして人生を終える。

人生は一度きりだからな。

ということで特別な3月7日もおしまい。

日々是進化。

桑原 昌之

スポーツ、教育、暮らし&まちづくりなど自由気ままに。
教育研究家・秦野市議会議員
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