今年一番の寒気が日本列島を覆っています。
我が家のルーツである津南や会津でも雪が降り続き大雪となっています。
除雪が間に合わずJR各線が運休するほどです。
心配ですね。
さて…
2月に入って中学校受験の情報にふれることが増えました。
サッカーの世界ではジュニアユースのセレクション結果の話題。
「○○中学校に合格!」「○○クラブに合格!」
喜びの声も聞かれます。
「○○中学校にも落ちた!」「○○クラブにも落ちた!」
頑張ってきたけれど結果が出なかった子もいます。
高校受験や大学受験も悲喜こもごも。
ボク自身や我が家のサッカーボーイズも「不合格」は何度も何度も経験。
将来の夢を描いて挑んだものの…
掲示板には番号がない、合格を知らせる電話は鳴らない。
そんなことばかりでした。
たしかに人生の糧になったこともあります。
それでもやっぱり…
辛い記憶として胸に刻まれています。
ボクと我が家のサッカーボーイズは全員が早生まれ。
ハンデもあったかもしれないとも負け惜しみを口にしたこともありますが…
ただ単に実力不足だっただけだということにします。
「東大に入るなんて簡単だったよ」
そんなことを言う著名人もいますよね。
でもそれって稀有の存在。
ちょっと勉強すればできちゃうとか、ちょっと練習すればできちゃう人たちはいる。
個人差があるのは仕方のないことです。
「普通は○○じゃない!なんであなたは・・・?」
学歴というモノサシでは高学歴の先生たちほど口にする傾向があったように思います。
「自分の子どもは公立には行かせない。あの子たちとは違うから」
そんな高学歴至上主義の先生たちとは職員室で衝突を繰り返してきた歴史もあります。
研修に招かれてお話をするボクに激しく抵抗するのも高学歴至上主義の先生たちです。
「どんな子であれ、その子らしく生きることが大切!」
「逆上がりだって一生できない子もいるし、リコーダーを上手に吹けない子もいる」
「いくら頑張っても漢字を覚えられない子もいるし、計算ができない子もいる」
「だからと言って、できるとかできないが評価軸になっているのは違うと思うんです」
「いろんな子がいるのでテストの点数のようなひとつのモノサシで人を評価しないでほしい」
そんなことを懇願するわけですから抵抗されるのも当然ですけど。
「だいたい努力が足りないし、親があれじゃあ落ちるでしょ」
そんな心のない言葉が職員室で飛び交うこともありました。
不合格になったことや何かができなかったことで辛い思いをする一番は本人。
周りにいる大人も入れ込んで熱心に支えてきたのでガッカリもさせられる。
時間もお金もかけて来た保護者の皆さんも辛い思いをするなんてこともあります。
これまで出会ってきた保護者はいくつかのタイプに分かれます。
「次行こう!次!」
そう言って結果をバネにして子どもたちと未来へ向かうパターンだと安心ですが…
「あなたはホントどうしようもない!」
まるで自分の持ち物のように結果を出せない子どもに冷淡な対応をする人たちもいる。
そうなってくると中学校の3年間で親子関係がガラガラと崩れていきます。
子どもたちは大人が支配するものではありません。
不合格になったとて人生は終わりません。
可能性は無限大。
人生はこのカラーコーンの影のように一方向にしか伸びないわけではありません。
子どもたちの全方向にモノサシを伸ばしてみませんか?
できれば球体をイメージしてね。